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茶の湯のうつわ、伝統の継承と創造
諏訪蘇山氏

 

龍泉窯の青磁に魅せられた初代が作り上げた「蘇山青磁」の伝統を受け継ぎながら茶道具を手掛ける諏訪蘇山氏にお話を伺いました。


四代 諏訪蘇山氏

 

―ご当家の歴史をお聞かせください

初代は元は加賀藩の武士でした。10歳の頃に父親が亡くなり、14歳で家督(かとく)を継ぎますが、間もなく明治維新を迎え、軍に入隊します。除隊後、青木木米(もくべい )も招かれた春日山(かすがやま)窯を引き継いだ任田屋徳右衛門(とうだやとくえもん)の息子に絵付けを学んだ後、再び上京し、陶画を業としました。各地の窯業地を巡って、再び金沢に戻り、金沢区立工業学校(現、石川県立工業高校)で彫刻科の補助教員をします。この助教諭時代に大病を患(わずら)いますが、これを克服して蘇ったことから「蘇山」の号を名乗るようになりました。
様々な経験を積んだ初代は京都の錦光山(きんこうざん)宗兵衛の工場に招かれて京都に移り住みます。当時の錦光山窯は「京薩摩」などの海外への輸出の増加により、大量生産が図られていた頃で、初代の石膏型(せっこうがた)を用いた成形技術が量産に必要だったのでしょう。5、6年ほど錦光山窯での作業に従事した後、明治40年頃に現在当家がある五条坂で独立し、自分が好きなやきもの、中でも青磁の制作に取り組みました。初代の青磁は世間にも認められて大正6年(1917)には帝室技芸員となります。
初代の後は初代の姪(弟の次女)が二代を継ぎ、二代の甥である私の父が三代を継ぎ、現在、私が四代目として伝統を受け継いでいます。

 

―ご当家の作品の特徴はどのような点にありますか

初代の青磁は「青磁の蘇山 」と呼ばれるくらい評価を得ていますが、数ある青磁の中でも南宋の龍泉窯(りゅうせんよう)の青磁が一番素晴らしいと感じていたようです。「砧青磁(きぬたせいじ)」や「天龍寺青磁(てんりゅうじせいじ)」は茶の湯の世界でも馴染みがあると思いますが、初代は独立する25年ほど前からその釉調などをずっと研究していました。当時も今も、青磁を焼きたいという陶芸家は大勢おられ、釉薬を研究される方が多いですが、初代は釉薬だけではなく、作品の元となる磁土にも注目していて、生地となる磁土にも色を付けるという工夫をすることで評価される釉調を生み出しています。
初代は化学の分野の方とも交流があって陶片の分析なども依頼していたようで、初代が記録した調合表などを見ていますと、熱心に研究をしていた様子が窺われます。
二代目以降も、登り窯から電気窯へと制作環境が変わっていく中でも初代が目指した青磁、つまり龍泉窯の青磁を基本として作品を作り続けています。
オリジナリティが求められた明治という時代にあって龍泉窯青磁の写しを作っていた初代は批判もされたことでしょうが、それでも信念を持って焼き続けた想いは大切にしていきたいと思っています。

 

―初代以来の作風を守りながら現代らしい作品も手掛けられていますね。

「練込青瓷(ねりこみせいじ)」や 「層彩青瓷(そうさいせいじ)」にも取り組んでいます。「練込青瓷」は青系の磁土を用いた三色、そこにピンク色や黄色を加えた四色、五色それぞれで水指などの作品を作っています。
また、螢手(ほたるで)も代を継ぐ前から青白磁で手掛けていました。私は宇宙や星が好きということもあり、星座を茶碗の意匠に落とし込んでいます。お茶を飲み終わった方のお楽しみとして、茶碗の内側から星座を見て頂けるようになっています。

 

―今後、挑戦したいことなどがあればお教えてください。

今は「古に倣(なら)う」 というテーマで作品作りをしています。初代は石膏型を使った作品作りを得意としていましたが、幸いにもその石膏型が数多く残されています。今年(2022年)が初代の没後百年に当たるということもあり、京都工芸繊維大学のKYOTO Design Labと共同で復製した初代の型を使いながら、型の可能性を探っているところです。初代の型を用いた作品作りの技術を身に付け、ゆくゆくは自由な発送の作品を作っていきたいと考えています。

 

〈プロフィール〉
三代諏訪蘇山と十二代中村宗哲の三女として京都市に生まれる。2002年、四代蘇山を襲名。十三代中村宗哲は次姉。

 


練込青瓷曙水指 十三代中村宗哲造溜塗蓋

 


白磁螢手星座茶碗

 


青磁鳳凰耳花入