いわしみずはちまんぐう
京都府南部の鳩ケ峰(男山)山上に、応神天皇、比咩大神、神功皇后の3柱を祀る石清水八幡宮。山裾から標高120mほどの山上へは表参道と裏参道が伸び、古の姿を留める表参道には396の石段が設けられています。
創建は貞観元年(859)。奈良大安寺の行教和尚が九州の宇佐八幡宮を勧請したことにはじまり、山の中腹には石清水が湧いています。平安中期、天下を揺るがせた承平天慶の乱を平定したご神徳は、朝野の崇敬は集め、武運長久の神のもとへは信長、秀吉、家康ら数多の武将が参詣。本殿には今もその遺構がみられます。
山上に築かれた本殿は、現存する最古の八幡造りとして名高く、それを囲む瑞籬や廻廊をはじめとした10棟は、平成28年2月に国宝に指定されています。とりわけ参拝者の目を引くのは、瑞籬に施された左甚五郎作と伝わる見事な彫刻。息を呑む秀作が本殿を囲っています。それらを市井の人々に伝える取り組みとして、昇殿参拝が毎日11時と14時に実施され、神職による案内が深い理解へとつながります。
裏千家との縁も深く、境内の一角で、700年以上にわたって悠々枝葉を伸ばすカヤの木は、初釜式の「蓬莱山飾り」に用いられています。
鮮やかな楼門。“はちまんさん”のお使いの神鳩は、ここだけでなく社殿の彫刻など随所に錺られている。
瑞籬に施された動植物の彫刻。栗鼠や葡萄、石榴や鶫などを組み合わされ、躍動的な意匠に目を奪われます。大半は左甚五郎作といわれるこれらを、解説を聞きながら間近で拝見できる昇殿参拝は有意義な時間になることでしょう。
西門の頭上、蟇股部分には右目に釘の刺さった「目抜きの猿」が。釘を打たれた理由は、本物さながらの猿がいよいよ魂を宿して夜になると村へ降り、畑を荒らしては人々を困らせたからだとか。
本殿の内殿と外殿の間には信長が寄進した「黄金の雨樋」が掛かります。大きな雨樋の突き出た部分に金箔を施したのは、天災にあった時の修復の足しになるよう、換金も視野に入れてのことだったといわれています。
表参道を登り終え、三ノ鳥居をくぐってすぐの「一ッ石」は、「勝負石」または「お百度石」と呼ばれ、かつて境内で催された走馬・競馬の起点を示します。江戸時代には、帰る間際にここでもう一度本殿に拝礼する習わしがあったそうです。
築地塀は「信長塀」と呼ばれています。土と瓦を重ねる技法は強度を増し、戦に役立ったといわれています。
都の裏鬼門に位置する石清水八幡宮は、社殿の石垣の「鬼門」(東北)を切り落として鬼封じ。
裏千家の初釜式に欠かせないカヤの木。
八幡市一帯に自生する八幡竹は、炭化させフィラメントにすることで、エジソンの白熱電球の長時間点灯を可能にしました。境内にはエジソンと八幡竹の縁を記念した「エジソン記念碑」も立っています。
表参道と裏参道を結ぶ山の中腹に清泉の湧く石清水社があります。
山裾の摂社高良神社は、仁和寺の僧侶がここを山上の本宮と勘違いして参拝し、山を登らず帰ってしまったという逸話が徒然草に描かれています。
「松花堂弁当」の由来になった松花堂昭乗は石清水八幡宮の社僧。晩年の住居と草庵の跡地が参道の途中にある。
京阪石清水八幡宮駅からすぐの一ノ鳥居に掛かる「八幡宮」の文字は、藤原行成の揮毫を松花堂昭乗が写したもの。八の字は鳩のデザインになっています。松華堂小乗は石清水八幡宮の神仏習合時代に、瀧本坊で住職を務めていました。
石清水八幡宮のご神矢はお札として授与されます。厄除け詣りには七色の組紐で飾られたご神矢を授かります。
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所在地 | 京都府八幡市八幡高坊30 |
TEL | 075-981-3001 |
営業時間 | 6:30〜18:00(季節によって異なる) |
アクセス | 京阪石清水八幡宮市駅下車、参道ケーブル八幡宮口駅~八幡宮山上駅、下車徒歩5分 |