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茶の湯のうつわ、伝統の継承と創造
林 淡幽氏

 

雅味ある古染付(こそめつけ)や洗練された祥瑞(しよんずい)、金彩と色彩が調和する金襴手(きんらんで)などの伝統的技法を受け継ぎ作陶に取り組む林淡幽氏にお話を伺いました。


林淡幽氏

 

ご当家の歴史と作歴をお聞かせください。

当家の先祖は徳川時代に代々尾張徳川家に仕えていましたが、幕末から明治の初め頃に京都に移り住み、以後、京都で陶磁器を制作しています。代々、青磁(せいじ)を専門にしていますが、私の父は染付(そめつけ)の作品も手がけていました。父は私がまだ学生の頃に亡くなりましたが、当時の私は家業を継ぐ気は全く無く、毎日、好きな絵を描いてばかりいました。子供の頃は絵の方に進もうかと考えたこともありました。南画(なんが)や水墨画が好きで、中でも一色の濃淡で描く水墨画が好きでした。結局、伯父の二代林円山に師事して作陶の世界に入ることになり、二十六歳で独立しました。「淡幽」を名乗り始めたのもその頃です。ご縁あって、当時、建仁寺の管長であった竹田益州老(えきしゅう)師から「五山窯」の窯名を賜り(たまわ)ました。やきものを作るようになると、単に見るだけでなく、使ってもらえる茶道具を作ることに喜びを感じるようになり、お稽古にも通うようになりました。茶会の手伝いをしたり、あるいはお招きいただいたりしている中で、大阪で行われた茶会で祥瑞の水指と運命の出会いをします。初めて目にしたその祥瑞の水指に惚(ほ)れ込み、席主に頼み込んでお借りして帰り、写しを作ることに没頭しました。その出会い以降、祥瑞を作陶の柱として現在に至っています。

 

―祥瑞のどのようなところに惹かれたのですか。

祥瑞というのは、元は日本の茶人が中国の景徳鎮(けいとくちん)に依頼して作らせたのが始まりで、松や竹、梅といった日本人の好みに適った図柄が描かれています。深みのある藍色の美しさにも惹かれます。ただ、父の頃は登り窯で焼いていたものが現在は電気窯やガス窯で焼いています。そうすると、昔のものと比べると綺麗になりすぎるというか、渋みや深みのようなものが足りないように感じられるのです。それを、昔のような色味になるように自分なりに工夫をしながら作陶しています。やはり目指すべきは景徳鎮で焼かれ、茶人たちを魅了した祥瑞ですね。

 

―作品を制作する上で特に気をつけている点はありますか。

茶道具は寸法が大切です。茶碗にしても水指にしてもそれぞれに適った寸法というものがあります。それに加えて、お茶の世界は女性が多いので、女性の手にすっと馴染(なじ)むような寸法も意識しています。私たちは百貨店などで個展を開く機会が多く、会場に映えるようにという思いが先に立って作品を大きめに作りたくなってしまいがちです。しかし、茶道具はやはり茶の湯のための道具ですから、茶席に適う寸法となるよう心掛けています。稽古場に持っていって師匠に見てもらうと厳しいながらも的確な意見を頂けるので勉強になります。また、私は先生方から直接、姿形や寸法、図柄などのご注文をいただく機会も多いですが、中には技術的に難しいものがあったり、あるいは作り手として少しバランスが悪いと感じる部分があります。その際は、注文主の先生と細部にいたるまで意見を交わして調整します。

 

―今後、挑戦したいことなどはありますか。

コロナ禍によってお茶人方が求められるものにも変化があるように感じます。例えばお菓子器の取り回しをなさらなくなったため、銘々皿の需要が増えています。祥瑞や色絵、金襴手など、私が得意とする技法の範囲でご提案をしています。伝統の技術や図柄を大切にしながらも現代の茶席に適う作品を作っていきたいと考えています。

 

〈プロフィール〉
はやしたんゆう、1945年、京都市生まれ。伯父の2代林円山に師事して作陶を始める。1971年、初代林淡幽を名乗り、開窯。建仁寺の竹田益州管長から五山窯の窯名を賜る。

 


祥瑞写古鏡水指


色絵五節句角水指


青白磁宝尽茶碗