仏像を荘厳する截金(きりかね)を工芸作品に取り入れた江里佐代子氏の想いを受け継ぎながら新たな作品作りに挑戦する江里朋子氏にお話を伺いました。
江里朋子氏
―ご当家の歴史をお聞かせください
仏像を制作する私どもの工房「平安佛所」では多くの御寺様からの依頼にお応えして様々な仏像を制作しておりますが、木彫の仏像の中には截金で荘厳(しょうごん)するお像もあります。母の佐代子が嫁(とつ)いできた頃には京都に截金師が20人ほどいらしたそうですが、そのほとんどが平面の仏画に截金を施す方で、立体の仏像になさる方はお一人だけでした。縁あって母はその方に截金の技術を伝授していただきました。
そのような経緯もあり、当初は仏像を荘厳する仕事に取り組んでいましたが、「より多くの人に截金の素晴らしさを知ってもらいたい」という想いから、小筥(こばこ)や香盒(こうごう)、棗といった小さなお茶道具などへの截金の応用を始めました。その後、評価を頂き、重要無形文化財「截金」保持者(人間国宝)にも認定していただきました。
住まいと仕事場が同じだったため、私の幼い頃から仏像や截金は身近にありました。大学時代は日本画を学んでいましたが、日本画で使う絵具と母が彩色に使う絵具が同じものだったこともあり、彩色の仕事から少しずつ母の下で学び始め、現在に至っています。
―截金とはどのような技法ですか
截金は、仏像や仏画を荘厳するために6世紀頃に仏教の伝来とともに朝鮮半島から伝えられたとされています。ごく細く切った金箔を貼って文様を描くとても繊細で、特殊な技法です。金箔の幅は、文様や貼る対象によって異なりますが、太いもので1ミリから3ミリほど、細いものだと髪の毛よりも細いと表現されるほどです。
細く切った金箔を用いた装飾は、古いものでは紀元前3~2世紀頃のエジプトのサンドウィッチ・グラスの碗があり、日本に残る最古のものとしては、法隆寺(ほうりゅうじ)にある玉虫厨子(たまむしのずし)の須弥座(しゅみざ)に小さな菱形の截箔(きりはく)が施されています。玉虫厨子の装飾は簡素なものですが、11世紀頃には緻密で自由な線によって構成された文様が見られるようになります。
11世紀後半頃から13、14世紀頃までが最盛期で、鎌倉時代の仏師快慶(かいけい)作の仏像にも截金が施されているものが多いです。当時の作品を見ていると、現在にも受け継がれている技術を考え、磨いた人々の想いや創意を学ばなければいけないと強く感じます。
―作品を制作する上で特に気をつけている点はありますか
母からは「よく見なさい」と言われることが多かったですね。どのようにして作業をしているのかという技術的な部分はもちろん、母や先輩たちがどのように仏像や作品と向き合っているのかをよく見ておきなさい、という意味もあったと思います。自分の目で見て感じたことを自身に照らし合わせて作品作りに生かしなさいと伝えたかったのでしょう。私は、母が工芸の世界での截金の可能性を追求し、様々な作品を作ってきた姿を間近で見てきました。だからこそ、母がしてきたことと同じことをする難しさも理解していますし、真似をしてはいけないとも考えています。例えば、母の代表作として多くの方が思い浮かべられる「まり香盒」を私も自分なりの解釈で制作してみたいと思いますが、母が創案し、突き詰めたものを私がそのまま踏襲することに躊躇(ちゅうちょ)もあります。今はまだ、自分の「かたち」というものがはっきりと見えていませんが、いつの日か見つけて、自分の作品として表現したいと思っています。
―今後、挑戦したいことなどはありますか
茶道具と並行して、現在は、ホテルからの要望で額装の作品も作っています。また、より多くの人々に截金を身近に感じて頂きたいと思っていますので、住空間に関わるようなものにも挑戦したいと考えています。ただ、何をやっても良い、というわけではなく、常に、人々の心の拠り所であった仏像を荘厳する技法であった截金の原点に心を置かなければいけないと思っています。多くの人の心に響くような作品を目指して制作活動に取り組んでいきたいと考えています。
〈プロフィール〉
1972年、京都市生まれ。父は仏師・江里康慧、母は截金師・江里佐代子。(公財)日本工芸会正会員。
截金蛤香合
扇面重香合
結紋香合
塘花香合