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大徳寺

だいとくじ

大徳寺は元応元年(1319)、武将赤松則村が宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)(大燈国師)を開山に小庵を開き、花園上皇、後醍醐天皇の帰依をうけて栄えました。その後、幕府と対立して寺運が衰え、さらに享徳2年(1453)の大火、応仁の乱(1467~77)で荒廃しますが、文明年間(1469~87)に一休宗純が堺の豪商たちの援助を得て再建し、名僧を相次いで輩出、新興の大名や武将、豪商たちの帰依により再び隆盛を極めていきました。現在の建物のほとんどは江戸時代初期のもので、勅使門は皇居の陽明門を下賜、仏殿には釈迦如来がまつられています。三門は連歌師宗長が再建したのをさらに千利休が今日見るような重層なものに修造しました。そして上層に利休の像を置いたことが秀吉の怒りをかい、自刃に追いやられたともいわれています。茶といえば大徳寺、「大徳寺の茶づら」といわれます。わび茶の創始者とされる珠光が大徳寺で一休宗純のもとで修行をしていた時に茶禅一味の境地をひらき、茶を道として修道するようになりました。そして茶道は武野紹鷗に受け継がれ、千利休で大成されます。紹鷗、利休いずれも堺の豪商であり、大徳寺再興のほとんどが堺の豪商たちの援助であるものであったことから茶道が大徳寺を中心に栄えたものと思われます。山内には二十四の塔頭が広大な敷地内に整然とたたずんでいます。

三門の金毛閣。楼上には千利休の寿像が安置されていることで有名

大徳寺本坊へと続く参道。

毎年11月22日には法堂で開山忌が行われている。

住所 京都市北区紫野大徳寺町
TEL 075-491-0019
拝観 境内は自由(本坊は拝観できません)
駐車場 有(総門の南側)
アクセス 市バス1・12・204・205・206系統などで

「大徳寺前」下車すぐ