かめやよしなが
約220年もの歴史を誇る老舗ながら、そのカラフルでポップな印象の和菓子の数々は近年、若者らの人気を集めて止みません。
1803年(享和3年)、京菓子の名門「亀屋良安」から暖簾分けする形で創業。初代はその地として、名水がこんこんと湧き出る京都・醒ヶ井を選びました。その清らかな水は今も店の軒先で脈々と湧き続け、日々のお菓子作りに用いられています。
砂糖が高価で庶民には手に入らない中、上菓子屋としてその地位を築いた創業時からの代表的な銘菓として「烏羽玉(うばたま)」があります。沖縄・波照間島の黒砂糖を使ったこしあんに、寒天をかけた一品。その呼び名は、万葉にも歌われた檜(ひ)扇(おうぎ)の実「ぬばたま」が転じたもので、一口サイズの風雅な口当たりが魅力です。
一方で、桃山の生地にクリームチーズやキャラメルを合わせた人気ナンバーワンの焼き菓子「ほのほの(チーズレモン・キャラメルナッツ)」や、薄いシート状にした羊羹をパンに乗せて焼いて食べる「スライスようかん」など、和菓子のイメージを覆す一品を次々と生み出しています。
近年はパリのシェフパティシエだった藤田怜美さんとのブランド「Satomi Fujita by KAMEYA YOSHINAGA」を立ち上げたり、体にやさしい和菓子を目指す「𠮷村和菓子店」を展開したりするなど、その取り組みは和菓子の可能性を追求しているかのようです。
8代目の𠮷村良和当主(48)の信念は「こだわりを捨てる」。日々様々な依頼が舞い込みますが、「何でも受け入れてみようと考える」と言います。「いただいたお話は必ず何か意味があるから、こだわりを持たずに聞きます。そして少し頑張れば、依頼ごとは実現でき、お客さまも喜んでいただけます。いただいた依頼を確実にこなす。その連続が今につながっていると思っています」。𠮷村当主はその心を説きます。
創業時から店を代表する一品「烏羽玉」
お干菓子は菊の花をかたどった和三盆の干菓子「暦(菊づくし)」など、パステルカラーの見た目が鮮やか
薄いシート状にした羊羹を食パンにのせてトーストする「スライスようかん」
人気ナンバーワンの焼き菓子「ほのほの(チーズレモン・キャラメルナッツ)」
京都市中心部を南北に走る「醒ヶ井通り」に面した店先に設けられた「醒ヶ井の井戸」。工事の影響で1964年(昭和39年)に一時枯れてしまいましたが、約30年前に現在のビルを新築した際、深さ80メートルまで井戸を掘り、湧き水を復活させました。
店には江戸時代や明治時代の「配合帳」や「見本帳」などが残ります。それぞれ今で言えば「レシピ」と「カタログ」に当たります。配合帳には、ビスケットなど洋菓子のことも記されており、新しい文化に対して好奇心旺盛に取り組んでいた当時の職人さんの姿勢が伺えます。一方、上菓子屋はお菓子の作り置きをしませんでした。そのためお客さんは見本帳を見て、注文しました。いわばオーダーメード商品だったわけですが、お客さんの思いを形にして喜んでもらうというスタンスは、今も変わりません。これら配合帳や見本帳を見て、𠮷村当主は「昔の人の息遣いが聞こえました。時空を超えて当時の菓子職人と対面し、自由な発想で楽しそうに菓子つくりに取り組む様子が伝わってきました」と語ります。
お菓子の手作り教室も開いています。季節に合わせた練りきりのお菓子2種、きんとん3種類を職人と一緒に作るほか、和三盆を使ったお干菓子制作の実演を見学し、できたてを試食します。「生地のやわらかさ、手触りなど、お菓子作りには文字では表せないところが多くあります。だから、生地の切れる音や香りなど、五感を働かさなければいけません。体験していただくことでお菓子に対する知識がより生きたものになるのです」(𠮷村当主)。
店内に掛かる家訓の「澄懐」(ふところをすます)。水が放っておくと腐るように、得た利益も社会に循環させなければいけないとの意味です。
社内には「亀屋和菓子部」と称する「部活」があります。菓子職人や事務職など仕事が異なる若手社員の混成チームが4つあり、1カ月に2回、生菓子の新作を作って、販売します。「仕事の楽しさを存分に感じてほしい」と3年前、吉村社長が考案。「若い感性ならではのお菓子も多く、若いお客さんが増えた」と𠮷村当主は頬を緩めます。「伝統産業は積み重ねた知恵の結晶。その点で菓子作りはまさに伝統産業。人を幸せにできるものを伝えていきたい。おいしいものを食べてけんかする人などいません。特に和菓子には人を和ませる力があると思います」。𠮷村当主の信念です。
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所在地 | 京都市下京区四条通油小路西入柏屋町17-19 |
TEL FAX |
075-221-2005 075-223-1125 |
営業時間 | 9:30~18:00(茶房 11:00~17:00) 年中無休(元旦、2日除く) |