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酬恩庵 一休寺

しゅうおんあん いっきゅうじ

室町文化の原点となった一休禅師の禅寺。
四季折々の景観と往時をしのぶ文化財を堪能。

京都府南部に位置する京田辺は、かつて盛んな水運を誇った木津川に面し、奈良・京都・大阪に接する交通の要衝として栄えた地。酬恩庵一休寺は、この地で歴史を重ねてきた静かな禅寺。「一休さん」として現代の人々にも親しまれる一休宗純禅師が、鎌倉時代の禅道場・妙勝寺を康正2年(1456)に中興し宗祖の師恩にむくいる意味をこめて「酬恩庵」と命名。その後半生を過ごし、今もここに眠る場所です。可愛らしいとんち小坊主・一休さんのイメージが浸透していますが、これは江戸時代に創作された「一休はなし」によるもの。実際は高い学識と真摯な禅への姿勢をもち反骨の精神を貫いた人物で、多くの弟子や信者の尊敬を集めました。ここはそんな一休禅師を慕う多くの文人たちが集う文化サロンにもなり、室町文化の開花に大きく貢献する役割を果たしました。そのなかには日本茶道の祖・村田珠光の姿も。一休禅師より中国から伝わる茶の法を伝授されたことから「茶禅一味」の境地を開き、のちに侘び茶の作法を完成させたといいます。また、一休禅師亡きあと一時は荒廃した寺を復興したのは、加賀前田家三代目利常公。利常公といえば茶の指南役として裏千家四代・仙叟宗室を招くなど、加賀藩に裏千家を普及させたことでも知られる名君です。これらの逸話が伝える茶の湯との深い縁もまた、茶人にひときわの感慨を与えてくれます。豊かな自然に抱かれた広大な境内は、春夏秋冬、どの季節に訪れても心にしみいるような美しさですが、近年では紅葉の名所として広く知られるようになりました。


深い緑に抱かれて、堂々たるたたずまいを見せる総門。拝観受付に至る石畳の参道にも、静かな趣があります。


禅寺の風情が漂う重要文化財の方丈。加賀城主前田利常公が大坂の陣で木津川に陣を敷いた折、一休寺の荒廃に心を痛めたことから慶安3年(1650)に再建された。内部の襖絵は江戸初期の画家・狩野探幽の筆によるもの。中央に安置される木造は、一休禅師が逝去の年に高弟につくらせ、自らの頭髪と髭を植えつけたもの。(通常は撮影不可)


寺名「酬恩庵」の扁額は一休禅師の筆によるもの。


方丈を取り囲む見事な禅院枯山水庭園。江戸時代初期、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作と伝えられています。名勝指定。
北庭は枯滝落水の様子を表現した蓬莱山庭園。


白砂で大海を表現した方丈南庭は、向かって左手に一休禅師の墓所、右手に居住した虎丘庵を塀越しに望みます。


虎丘庵は一休禅師が応仁の乱の戦災を逃れ京都東山より移築し、晩年を過ごした元塔頭。現在は茶室として、特別な機会にのみ使用されています。周囲の庭園は村田珠光作と伝えられています。(通常は非公開)


一休禅師が82歳の文明7年(1475)、自ら建立した御廟所。88歳で生涯を閉じ、ここに埋葬されました。禅師は百代後小松天皇の皇子であることから、宮内庁の管轄の御廟所となっています。このため門扉には菊の御紋が。(通常は非公開)


重要文化財の本堂は、永享年間(1429〜40)足利六代将軍義教の帰依により建立。周囲のカエデが真っ赤に染まる秋の美しさは圧巻。


一休禅師の墨跡や御使用の御物等、見応えのある寺宝が展示公開されています。


広大な境内、開山堂の脇にたたずむ、少年時代の一休像。


寺内では、一休禅師が手ずから製法を指導した一休寺納豆が、今もその製法を守り手づくりされています。繰り返し天日で干したのち、歴史ある蔵でじっくり熟成、仕込みから約2年の歳月を経て完成。大豆の旨味が凝縮されたコクと塩味の利いた風味は、茶菓子をはじめ、和洋の料理や洋菓子にも活用されています。

 

酬恩庵一休寺
https://www.youtube.com/c/ikyuji

所在地 〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102
TEL 0774-62-0193
拝観時間 9:00〜17:00(宝物殿 9:30〜16:30)
アクセス 近鉄京都線「新田辺」から約1.5km
JR学研都市線「京田辺」から約1km
京阪バス「一休寺」下車徒歩約5分

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