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茶の湯のうつわ、伝統の継承と創造
一瓢 良氏

 

江戸時代後期より京都で代々続く蒔絵師の家に生まれ、京漆器の多彩な技法を生かした作品作りに取り組む一瓢良氏にお話を伺いました。


一瓢 良氏

 

―ご当家の歴史と作歴をお聞かせください

当家が蒔絵の仕事を始めたのは江戸時代、十一代将軍徳川家斉の享和年間(1801~04)頃ではないかと思われます。初代は大坂で、梶川家や原羊遊斎(ようゆうさい)などに師事して印籠(いんろう)や簪(かんざし)、櫛(くし)といった装身具、文庫、硯箱、祝膳、茶道具の蒔絵を描いてきました。戦後からは茶道具、中でも棗と香合を中心に制作を行うようになります。「一瓢斉」と名乗るようになるのは五代目か六代目からです。
私は、幼い頃から、六代の祖父や七代の父が作業をしている姿を見てきましたし、その作品は確かな技術によって生み出された美しいものだと幼心に感じていました。当初は家業を継ぐつもりは無く、大学を出て就職したのですが、「僕の代で終わらそうと思う」という父の言葉を聞いて、私の目の前で伝統が途絶えてしまうことを忍びなく感じ、自分が家業を継ぎたいという想いが生まれました。とはいえ、代々、男性が代を継いできていましたから、女性でも蒔絵の仕事はできるのかと悩みました。しかし、「別に女性でも男性でも関係ないでしょ」と母が背中を押してくれたこともあり、家業を継ぐ決意をしました。
父も当初は反対しましたが、私の想いを尊重してくれました。会社を辞め、南丹市にある京都伝統工芸大学校で漆芸の基礎を学びました。同時に、父に師事して当家の塗りや蒔絵を学びました。

 

―ご当家の作品の特徴はどのようなものですか

京漆器は多彩な技法を駆使して制作されます。加飾技法としては蒔絵、螺鈿(らでん)、青貝などがあり、蒔絵にも平蒔絵、高蒔絵、研出(とぎだし)蒔絵があります。それらの技法を、意匠や表現したい事柄に応じて使い分けます。
当家では一つの技法だけではなく、いくつもの技法を組み合わせて一つの作品を作ることを得意としています。例えば漆を塗った器表に金粉を蒔きつめてから研ぎ上げる金溜地(きんだみじ)の上に高蒔絵で岩や松を描いたり、研ぎ出し蒔絵で波を描いた上に高蒔絵で柴舟を描いたり。手間は掛かりますが、立体的に見え、華やかにも感じられる作品に仕上がります。
また、蒔絵に使う金は作り手によって様々ですが、当家では粒子が少し粗めの金を使っています。粒子が粗いと金の発色が良く、時間が経つと落ち着いてきて、より奥深い仕上がりになります。

 

―作品を制作する上で特に気をつけている点はありますか

制作の中心は棗ですが、形状や大きさがほぼ定まっているため、その器表にいかに意匠を配置していくかが重要です。絵の大きさや配置のバランスなどがほんの少し違っただけで印象が大きく変わりますので、「これで良いのか」といつも悩みます。
また、棗に限らず、茶道具全般に言えることかもしれませんが、手で持って使う「道具」であるということを意識しなければなりません。と同時に茶道具は「正面」をとても重要視します。「正面」といっても、拝見の際には斜め上から棗をご覧になりますから、甲から胴にかけた部分の構成をいかにうまくまとめるかに気を配らなければなりません。
意匠や構図の幅を広げるためにも古い作品を見る機会を持つように心掛けています。江戸時代の職人が作った作品を見ると技術の一つひとつの細かさに唸(うな)らされますが、絵の配置にも感銘を受けます。技術は盗めないかもしれませんが、絵の配置は参考にしたいと思います。出来るだけ多くの作品を見て、自分の目や感性を肥やしていきたいと思います。

 

―今後、挑戦したいことなどはありますか

私は長く受け継がれてきた古典的な意匠が好きなので制作の中心にしていきたいと考えています。また、現在は色漆を使った作品を目にする機会も多いですが、一瓢斉の作品は金蒔絵を特徴としていますので、金が映えるような作品を生み出していきたいと思います。

 

〈プロフィール〉

1971年、京都府生まれ。家業の技法と屋号の継承を志し、豊橋技術科学大学大学院、京都伝統工芸大学校を卒業。父の七代一瓢斉、栄造氏に師事。女性として初めて一瓢斉の代を継ぐ。

 

 


柿蒔絵和紙張雪吹

 


六瓢蒔絵大棗

 


秋草蒔絵大棗